取材日和:The Terminal Kyoto
取材日和:The Terminal Kyoto

作家インタビュー

沙里

Sari

調香師

perfumer

沙里

かほりとともに、

軽井沢の山中

美しく繊細な香りが生まれる背景を探りに軽井沢に工房を構える沙里さんを訪ねました。

 

:沙里さんは三重県のご出身ですが軽井沢に工房を構えることになったのはどんな理由からでしょう?

 

沙里:たまたま2020年の8月に車で軽井沢へ遊びに来ていたときに、不慣れから道を間違えてしまって。車を走らせているうちに、あるギャラリーに到着したんです。 ここから10分くらい車を走らせた場所にあって、その雰囲気がもうジブリの映画に出てくるサツキとメイのお家のようなんです。周りは鬱蒼とした樹木に囲まれていて近くにはお宮とトンネルしかないような場所で。 あの時はCOVID-19が猛威を奮っていた時期で、しかも他県のナンバーの車ということもあり、ギャラリーには入らずにUターンしようと思っていたのですが、中から女性の方が出てきてくれて、「良かったらどうぞ」と招き入れてくださいました。ご夫婦で運営されていて、子どもたちも巣立ち、いろいろと一段落したので、自分たちのやりたいことをやるようになっていったそうです。 そんなことをしているうちに知り合いから家の管理の相談もされるようになったので宅建を取得して本格的に土地や建物を管理するようになっていったそうで。

 

:いくつになっても挑戦する姿勢がいいですね。

 

沙里:ですよね。そんなふうにしてご縁をいただいて。 軽井沢にも管理している物件があるというお話になり、とんとんと話が進み、こちらの家をアトリエにさせていただくことになりました。

 

:すごいご縁ですね。

 

沙里:そうなんです。ここにした決め手はいくつかあるんですけど、まずやっぱり自然が本当に美しいです。こうやって紅葉を味わえたり、冬は枝の線だけの世界が広がります。 そしてなんといっても自生のクロモジがたくさん植わっているんです。

 

:偶然ですか?

 

沙里:偶然です。クロモジの蒸留が楽しくて、この世界に入ったようなものだったのでもうビックリで。 私が初めて蒸留した場所は、三重県の熊野や和歌山県の龍神村などでした。そこには川が流れていて、「川の傍にいつもクロモジがいるなあ」という認識でした。 ここから5分も行けば川は流れているんですけど、近くにはなかったからまさかクロモジが生えているとは思わず。川は流れていないけど、湿度があるからでしょうか。

 

:確かに湿度は高めですね。

 

沙里:ものすごいモイスチャーな場所なんです。 でもそれがクロモジの生育環境としては大事なのかもしれません

 

かほりを音に感じる

工房

:ここは改修されたんですか?

 

沙里:もともと和室だったところを改修しました。 そして、京都の知り合いの方にオルガーノも作っていただきました。

 

:オルガーノとはなんですか?

 

沙里:調香する台のことをオルガーノと言います。

 

:これは沙里さんがイメージを伝えてオーダーされたんですか?

 

沙里:そうなんです。 ビンの並びは調香内容によって変えたりしますが、香りにはトップノート、ミドルノート、ベースノートとあって香りが変化していく時間の流れを示しています。 お料理でも蓋を取った瞬間にスダチの香りがして、最後にお出汁が香るなど、ポンポンポンとリズムがありますよね。

 

オルガーノ

沙里:私の家族は音楽をやっている家系だったので小さい頃から音に触れてきたんですけど初めてクロモジの香りを感じた時に「バイオリンのラの音みたいだな」と感じました。ラベンダーであればヴィオラの低いラの音だなとか、ベルガモットやレモンの香りはトランペットのレの音だなとか。

 

:音階で香りをイメージしたんですか?

 

沙里:そうです。例えばレモンは高い音の感じがしませんか?

 

:はいはい。何となく分かります。

 

沙里:白檀だとしっとり。

 

:白檀は低いドくらいですかね。

 

沙里:そう、チェロとかコントラバスとか、少し低いドの音です。 最初は音楽関係の仕事をするのかなと漠然と思っていたんですけど。

 

:なるほど、香りと音ですか。 香りと記憶という組み合わせはよく聞きますよね。それぞれ同じ引き出しに入っていて、香りをかぐと記憶がパッと出てくる。プルースト効果というもので。

 

沙里:そうですね。マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」ですね。長編大作です。主人公の母が出してくれた熱い紅茶にマドレーヌを浸して口に入れた瞬間に記憶がたち表れてきたという。 亡くなった祖父と小さい頃に公園のお堀沿いを手をつないで歩いたという記憶があるのですが、祖父が亡くなった後にインドネシアのバリ島のウブドに行った時に、チャンパーの花の香りに出会って、そのときに祖父との記憶が蘇ってきました。 そこで香りと記憶が密接な関係にあると知ったんです。 そのあとに香りをやりたいと思って始めたときに「私、香りに音を感じる」って気づいてそれがとても面白い発見でした。 実際に香りの用語は音楽用語とも通じていて、例えば「香り」のことを「ハーモニー」と表現したりしますね。

 

:ああ、はい、確かにありますね。

 

沙里:またフランスに行った時ですけど、調香師が作業する「調香台」のことをオルガーノということを知ってそれって「オルガンのことじゃん!」っていう(笑)

 

:不思議な繋がりですね。(笑)

 

沙里:香りはあとから香りを重ねていく作業なのですが、トップノート、ミドルノート、ベースノートという、大きく3つに香りを分けて表します。例えばこれはアイデアノートなのですが。

 

アイディアノート

沙里:香りの地図のようなもので、縦軸が時間軸で、横軸は香りの性質を表しており、時間軸の上から下に向かって香りが流れていくイメージです。 昔は女性的、男性的と別れていたりしましたが最近は性差がなくなってきているので時代に応じて表現が変わっていきます。

 

:なるほど、時間の経過を表しているんですね。 最初の香りはこの辺りの高い感じで、時間が経過するにつれて、まろやかに甘みが出てくるとか。

 

沙里:そうです。逆もあります。最初は甘く作っておいて、最後はスーッとした要素のものとか。

 

:これは狙って作っているんですか?

 

沙里:狙うというより、予想して調香しています。 仏師の方が木を観て、中から像を掘り出すような気持ちというか。 植物の個性を尊重して、ノートを意識し、ハーモニーやリズムをイメージしながら予想して整えていく感じです。

 

花瓶

:ご家族が音楽をされていたとのことですがお祖父様も音楽はされていたんですか?

 

沙里:祖父は唯一音楽をやっていなかった人なんです。 祖父は鉄工所をやっていたので、”鉄の匂いがする人”という印象でした。よくかわいがってくれた記憶が私にはとても大きく、家族の中でも一番応援してくれていたと思います。 祖父が入院していたことがあってその時に看護の方が寝たままだと脚がむくんでしまうからとマッサージをしてくれるのですが、そこではアロマを導入していました。そうしながら話にも耳を傾けるという姿勢が記憶に残っていて。 イギリスやフランスに学びに行った時も入院している子供たちの教育環境と香りの関わり方にとても気を遣っている印象がありました。

 

:とても面白いですね。香りに対する捉え方は地域によって違うのでしょうか。 例えば日本には文香というのがありますよね。 詩とともに手紙に添えて贈るという平安時代以来の文化がすごく素敵だなと思います。 当時は貴族の間だけのものだったんでしょうけど、匂いを相手に届けることによって、自分を思い起こしてもらうという恋愛のための戦略だったんじゃないかと思うのですが、現代まで残る良いコミュニケーションの1つだと思います。

 

沙里:いやー、本当に思います。 そういう文化にもすごく興味があって、最初に香りを始めた時にこの香りのことを「かぐ」ではなくて「聞く」というふうに表現していて、この言葉が平安時代の頃からあったということが驚きでした。 ただ良い香り、悪い香りと分けるのではなくて「聞く」という言葉を使う。香りを音の様に表現して「香りの声を聞く」、「香りの心の声を聞く」と表現した日本の文化も素晴らしいと思います。 香道も始めたりしたのですが、会が終わった後に「香が満ちました」と言うんです。

 

:「香が満ちました」と。

 

沙里:そう。「ありがとうございました」の代わりに「香が満ちました」と皆でお礼をするのが、すごい素敵な言葉だなぁと思って。

 

:素敵ですね。いいなあ、「香が満ちました」か。

 

沙里:だから、ワークショップや聞香、フレグランスの会をやる時も、「香が満ちました」と皆で言います。そういう一言があるということを知るだけで、触れた人が日本の香りの文化というか、古来から続いているこの感性を自分たちも持っているかもしれないという喜びも感じられるんですね。

 

:確かに嬉しいですね。

 

沙里:純粋に香りを感じて「あ、このノートだ」と気づく歓びが原初的な発端でもあったのですが、これからも続けていきたいと思う部分のひとつに、日本にはこういう香りの文化があるということを伝えていきたいという気持ちがあります。 世界にもそれぞれ香りの文化があってここを見ていくと歴史が表れてきて面白い。 例えばモロッコで蒸留文化が栄えたのは水の質が悪かったからだといわれています。 水質が悪かったから、各家庭には蒸留設備がありました。そして綺麗な水を取る時に、花びらを入れておいたらどうなるだろうみたいな発想がそこから生まれてきたりして。

 

:最近なぜ人は旅行をするのだろうと思ったりします。なぜわざわざ寒い地域や暑い地域に行くのだろうと。普通なら快適な場所に居た方が身の危険も少ないのに。 今のお話でも普通に蒸留したものを飲めればいいだけなのにわざわざお花を浮かべたり、加えたりするんですね。

 

沙里:そうですね。

 

:ただ情報を伝えるだけではなく、何かを加えたり感じたりという欲求が、私は素敵だと思いました。そういう行為が人間を人間たらしめる本質というか、あくなき探求心というか。

 

沙里:いやー、人しかしないですよね、そんなこと。

 

:そうですよね。そういう感覚は失われてきているとは思わないですけど、機会が減っているような気もするし。

 

沙里:うんうん。

 

:今回、沙里さんを取材したいと思ったのは、純粋に私たちの個人的な欲求でもありますが、その先には「こういう面白い世界があるよ」というのを、噛み砕けていなくてもよいので、伝えることで興味のある方が知るきっかけになると良いなと思っています。

 

沙里:あー、嬉しいです。 さっきの話にも繋がるかは分かりませんが香りって今ここにあるものが全てというよりも、ここを通じて過去と未来を行ったり来たりできるものなんじゃないかと思うんです。 こういう事ができるのは人間だけじゃないですか。 香りも聞いていると、過去に生きていたものが、蒸留することでそこに留まるというか。そういうところがすごい神秘的だなと感じる一方で、すごくエゴイスティックでひどいことをしていると思って、一時期蒸留ができなくなった時期がありました。

 

:そうだったんですね。

 

沙里:花とかを蒸留すると茶色く変色して嵩も減ってしまうので、すごく悪いことをしてるように感じてしまって。 それで友人に相談したんです。「なんか蒸留したくなくなっちゃった」って。 そうしたらその友人が「その地に根差して一生をそこで過ごす予定だった植物が、ビンに入って一緒に旅ができるわけでそれはそれで幸せなことだと思うよ」って言ってくれたんです。

 

:おおー、すごく良い解釈ですね。

 

沙里:それを聞いて「本当だー!」みたいな。 確かに一緒に旅ができて、人にも届けられる。 植物は誰かに見られようと思って生きていないけど、誰かの記憶に結びついたりとか、涙を流してくださったりとか、人の心に届く形として留められるというのはすごく幸せなことをさせてもらっているなと思いました。

 

:素晴らしいですね。鳥肌が立ちました。

 

沙里:だから香りも個性や記憶を持っているのだと思います。 もちろんいろんな捉え方があって魂の部分でそう思える人もいますよね。たとえばお数珠とかにも「これは屋久島の杉で作られていて」みたいな。そうやって大事にする魂を持っているから、目に見えないものを表現しようとしているのではないかと思います。 私自身も香りを通じて感じているし、受け取ってくださる方とそういう話ができるというのはすごく恵まれていると思います。

 

:目に見えないし、言葉に出来ないけど、ちゃんと感じ取っているんだなと思うと、安心します。やはり自分たちは自然物のひとつなんだと感じます。 旅行をするのはそういう状態を確かめに行く行為なのかもしれないと思いました。

 

沙里:ああー、本当にそうですね。うん。

 

:植物にも個性や記憶があるのがとても面白いです。

 

個性的なひとたちとともに生きていく

クロモジの葉

沙里:玄関を出てすぐのところにもクロモジが2本あって、それぞれ1m程度しか離れてないんですけどその2つが全然匂いが違うんですよ。 例えばヒノキはいつまでもヒノキだなと感じますが、クロモジは特に個性が際立っていてこれが面白い。

 

:クロモジには個性があるんですね。

 

沙里:そう、クロモジに関してはいろんな個性がいつも出てくるのでクロモジを蒸留していて楽しいことのひとつです。「え、これクロモジ?」と思うことがよくあって1本1本本当に違います。

 

:一番人間に近いかもしれないですね。

 

沙里:あ、本当にそうです。一番人間に近いと思います。

 

クロモジの葉

沙里:クロモジはすごく整理された響きを持っているので、匂いを感じたりまとうことで、自分らしくいられたりします。 私の中では一貫して時や記憶を重ねていく瞬間のひとつとして香りがあります。 調香師と呼んでいただくことが多いですけど、植物自身が調香師だなと感じることが多い。私が表現できているのは、植物そのものが素晴らしいからです。 言うなれば私はオーケストラの指揮者で、実際に香りを重ねているのは植物たちです。

 

:ご自身はきっかけに過ぎないということですね。

 

沙里:2011年に賞をいただいてから1年くらいは正直辛い時期が続きました。 賞を取ったから、次はもっと完璧なものを作ろうと思うようになりました。 でもそんなものなんかできないし、植物たちも日々変化していくから。 無意識に次も120%のものを作ろうとしてしまう。そうすると植物も窮屈だと思うんですよね。このままでは無理だなと思いました。 だから蒸留中も祈るように、ただただ声を聞くんです。料理で言えば火加減の強弱を図るのと同じで、ただただ声を聞いて。タイミングは私に委ねられているというか、香りたちが作っていく感じです。

 

:ちょっとお手伝いした感じ。

 

沙里:そう、ちょっとお手伝いした感じです。そして8割程度で終わりにする。 残りは人の肌に委ねるというか。 8割のうちも7割はすでに完成していてあとの1割程度を私がお手伝いさせてもらう感じです。

 

:賞をいただかなかったら分からなかったことでもあるかもしれませんね。

 

沙里:科学香料だと誰がつけても同じ匂いになったりしがちですけど、植物だと相性があって。

 

:それがすごく不思議でした。つけた人と自然が接続されるというか。

 

沙里:人の肌の温度や肌質、肌が持っている角質の大きさみたいなものが影響しているのかもしれません。海外の香水は、パフュームでもつけると変化するものも沢山あるし、そこがパフュームの醍醐味でもあります。

 

:そうですね、面白いなあ。裏にはやはり人がいるのですね。

 

沙里:そうなんですよ。 面白い話があって、ドイツのケルンはオーデコロンの発祥の地なのですが、そこで200年くらい前に香水を作っていた有名なパフューマーのノートが残っているんですね。 ノートにはレシピが書いてあるんですけど、普通のレシピは例えばラベンダーが一滴何グラムで、とか書いているのに、全部女性の名前で書かれているんです。 その人にとって、マリアンヌと言えばローズマリー、レベッカと言えばオレンジと人物像が決まっているんです。そこには擬人化がなされていて。私は音で書いたり記憶したりするのですが。

 

:植物と対話しているからですかね。そこに個性を見出しているのかもしれない。人間じゃないけど人間のような。地域によっても表現が違うのが面白いですね。

 

沙里:フランスに調香師の友人がいてその方は元々はフォトグラファーなのですが、その方がいうには香りの記憶は情景であると言っていました。

 

:格好いい表現ですね。情景ですか。

 

沙里:私もよく香りと音を結んでいると、たまに「すごいね」と言ってもらったりするのですが、全然すごくなくて。 人生経験のひとつであってたまたま私は音に結びついたのだと思います。もちろんハーモニーを重ねるのが小さな喜びだったりするのですが。 例えば洋服の店員さんが、お客さんに対して「あ、この人赤似合いそう」だったり「あ、絶対この人には白のワンピースが似合う」と思うのと一緒でその人にとっては感情が色に結びついているのだと思います。 きっと私はたまたまその延長で香りと音だったんですね。

 

:なるほど。

 

沙里:1人1人がそういうものを持っていると思っていて、でもそれは磨いていくとさらに深まっていく世界ですから、決して特別ではないと思っています。

 

山中の風景